6.思うところ(1)
最後に私の感想をばらばらと書いておきます.
検察側が提示した国家市民保護局長官と州政府市民保護局長の電話音声を聞けば,行政側に「安全宣言を出す」という明確な意図があったのは明らかです.その点において,本来であれば国民の命を守る立場である省庁の責任者がそれをまったく取り合わなかったのですから,なんらかの刑事責任が問われても仕方がないと思います.
でも科学者については,刑事責任は重すぎると感じています.確かに,結果的には行政担当者の身勝手な思惑を科学の力でねじ伏せることができませんでしたし,むしろ利用されてしまった点は,犠牲者の命の重さを考えれば,軽率だったとも言えます.しかし,現在進行形で起きている事象に対して,しかも今の人類の英知ではなんの結論も出せないような状況においては,可能な限りの知見を提供し,「わからない」ということを表明するのが科学者としてもっとも誠実な態度だったと思います.世間からは,科学者のくせになんでわからないんだ,と言われるでしょう.だから,科学が万能ではないこと,現在進行形の未解明の科学がたくさんあることは,きちんと教育すべきです.今の学校教育では,ともすれば科学万能主義に傾倒していると私は感じていますし,科学者もこれを利用して予算を獲得してきたような気もしています.
国民の命のひとつひとつを大切にとらえている人が行政担当者であれば,現在の限りある科学の知見でも,十分に減災は達成できたはずです.たとえば,イタリアでは当時,日本でいうところの自衛隊が待機して,いつ地震が起きても救出できるような体制を組むことはできたのだそうです.「念のためイタリア自衛隊の皆さんはラクイラでスタンバイしてください」という対策も可能だったでしょう.救出が早ければ助かった命がいくつもあったはずです.
今のような委員会のあり方では,誰も委員をやらなくなります.会議の場での議論を十分に踏まえた記者会見がなされないこと,あるいは委員会開催前に行政担当者が軽率なコメントを平気ですることなどもすべて踏まえて委員の任務を全うするというのは,ばかげているにもほどがあります.特に,委員会メンバーでもなく,単に震源データを持ってきてくれと言われたから持って行っただけのINGVのSelvaggi博士が訴追されているのは恐ろしい状況です.たまたま呼ばれてその会議の席に座っていただけで禁錮6年になるという事実が世界の地震学者に与える衝撃は大きいでしょう.
こうして委員を引き受ける人が減っていくと,委員会の質が落ちます.あるいは,まじめに研究をして,国に提言をしているだけで,こんな刑事罰を受ける可能性のある分野だと知れば,優秀な人材は集まって来なくなるのではないでしょうか.こういった一連の出来事は,長い目で見れば,結果的に社会全体への悪影響になると思います.
それよりは地震学や医療,食の安全など,命にかかわる分野の研究者には,どういった情報発信があるべきなのかなどのトレーニングをする方がよほど建設的です.実は今回とよく似た問題は,1990年代後半にイギリスで起きています.BSEに感染した牛肉を食べると人にBSEがうつるのかについて,国が委員会を招集して議論をさせました.この時も,国は,牛肉安全宣言を出すつもりで委員会を開催し,例によって科学者が安全と言いました,と発表しました.この経緯については大阪大学の小林傳司先生の『トランス・サイエンスの時代―科学技術と社会をつなぐ―』に詳しいのでぜひご覧ください.日本でも大正時代の桜島大噴火の時に似たようなことが起きています.安全宣言を出したために,突然の噴火で住民が亡くなりました.ただこの時は行政が科学者を利用するといったことはありませんでしたが,「わからない」事象に対して安易に安全宣言を出してしまった点に反省が残ります.